中村 瞳
たわいもない日常の美しさ
父は毎晩、庭の池で飼っている錦鯉に餌を与えるのが日課だった。月明かりに照らされた水面から、赤、白、黒、金、銀の何十匹もの鯉が、父に挨拶をするかの様に顔を出す。30匹以上は飼っていただろうか。お酒を飲まなかった父にとっては癒しの時間であったに違いない。
私はそれを縁側で眺めながら、「学校で今日は何があった」だの「今日の給食は美味しかった」だの、たわいもない話をする。そんな時間を過ごしながら、少し餌を貰って父と一緒に与えていた。
人が集まる池は、我が家の象徴的な場所でもあった。
週末には、鯉好き仲間が家に集まり、ああでもない、こうでもないとうんちくを語り合っており、とても賑やかだった。
(実家の錦鯉たち。様々な種類の鯉がいた。)
父は“昭和三色”と呼ばれる鯉を特に気に入っていた。
背に大きく赤が広がり、頭から尻尾に向かうにつれ、大胆に黒が入る。鯉について詳しくない私でも、見事なバランスだと分かった。
絵を描くことが好きだった私に、油絵でその鯉の絵を描いてほしいとオーダーした。
(昭和三色のイメージ。紅白黒で構成され、頭から黒が美しく入るのが特徴。)
ある日、父は亡くなった。
父の鯉は小さな品評会でトロフィーを貰うレベルに達していた。
沢山の鯉は業者に引き取られ、華やかな色彩で染められていた池は、一瞬で真っ黒になってしまった。
それからというもの、鯉に触れる事はなくなった。
あの時の鯉は、今頃どうしているだろうか?
今でも鮮明に覚えている。
あの昭和三色の柄、動き、餌をあげているときの躍動感をもう一度見ることが出来たなら…
AIの技術の発展と共に、それが可能になる日も近いかもしれない。
故人の想いが生きる、デジタル水槽
錦鯉の背景を知ることが出来るデジタルデータ
錦鯉の3DCGを制作し、動きや色彩をAIに学習させる。この際に、ただAIで学ばせた錦鯉を作るのではなく、父の想いが入ったデジタルデータを作りたい。3DCGには、育成者、出生地等の様々なデータを入れ込む。
建築で活用されているBIMソフトでは空間の素材や価格、メーカー名などの様々な情報を3Dデータ内に入れ込むことが出来るが、その錦鯉バージョンだ。
そして、それらのデータはNFTとして活用する。
(* NFT…デジタルアイテムの所有権を証明する証明書のようなもの)
錦鯉を持ち運ぶ
作成した錦鯉のデータは、アプリと連動させスマートフォン上で持ち歩くことが出来る。
自分の鯉をいつでも、どこでも閲覧できるようにすることはもちろんなのだが、ここではCGデータと本物の鯉の情報が連動することに重きを置きたい。
日々の鯉の健康状態や与えたエサの量を記録し、鯉の育成に役立てる。
池の管理も重要だ。池に投入した薬や水温、気温などの情報を記録し、池の環境面と鯉の健康面を同時に確認できる状態を作り出していく。
錦鯉を鑑賞する場を作る
鯉が住む池を模ったデジタル水槽を用意し、そこに近づきアプリをタップすると、鯉を水槽に放つことが出来るようにする。
水槽のディスプレイはタッチパネルを採用。
鯉にタッチすると、設定した育成者等の情報の閲覧や、気に入った鯉にいいね!を押せるといった、能動的に楽しめる体験を取り入れる。
ゲームセンターの釣りゲームや、公園にある釣り堀のように、より気軽に、より身近に錦鯉を感じることができる環境を作りたい。
交流はデジタルのみではなく、リアル空間も活かして
錦鯉の鑑賞というと静かな環境をイメージするかと思うが、その場で自分の鯉の魅力をプレゼンテーションするイベントも行い、コミュニケーションを活性化させる。錦鯉はそれだけの情熱をかけられて育成されており、熱くて感動を与えることが出来る存在だからだ。NFTデータにしたのは、育成者の熱量や背景を含め、次世代に渡していくことが出来る可能性を持っているからである。アート作品は作者の背景や歴史なども語り継がれる。錦鯉も、育成者の背景と共に語り継がれて良いのではないか。
父の想いがこもった錦鯉が泳ぐデジタル水槽を見ながら、時が止まってしまっていた油絵を完成させたい。そして、父の鯉仲間と共に、たわいもない話をしてみたい。
私が作りたいのはデジタルデータではなく、池を囲んだ際の人との交流。
錦鯉の背景にある日常が、暮らしを色鮮やかに彩ってくれていたに違いない。
中村瞳
映像業界出身。映像クリエイター兼エンジニアとして活動後、乃村工藝社に入社。
プロジェクションマッピング、デジタル機器やディスプレイを用いた映像や光の演出コンテンツを得意とする。
過去の経験から、空間演出でも「エンジニアリング」と「クリエイティブ」を掛け合わせたコンテンツ制作を行っています。リアル空間の持つ良さを映像やデジタル演出で拡張し、融合させた空間体験づくりを行っていきます。
担当作品はこちら
小田原城NINJA館
「CREATORE with PLUS」 デジタルアート映像コンテンツ
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